「最後が普通すぎてつまらない」という意見をよく聞くが、俺はそれに反論したい
彼等の主張は大体こうだ
「新海誠らしくない、作家性を捨てている」
その気持ちは理解できなくもない。初期三作のほしのこえ、
雲の向こう、秒速との違いを言ってるんだろう
確かにこの三作のラストは共通して君の名は。と正反対だった
早い話がバッドエンド。主人公がヒロインと再会できずに終わる。
けれど君の名は。と初期三作のストーリーを比べると、ラストの展開以上に大きく異なる事が有ると思う
それは「もっとも幸せな時間」が映画の中で過去として描かれてるか否かだ
物足りない物足りない
そしてほしのこえのラストでは幸せな頃から10年近く経過しており、雲の向こうでは幸せな頃が既に過去となった高校パート(主人公が独白でもう戻らないあの頃)が多く描かれている
秒速五センチメートルも二人が一緒にいた時間はアバンタイトルと回想シーンのみで、美しい思い出としてしか描かれていない
この三作はどれも「本当はすでに終わってしまった恋」を巡る、喪失の物語なのである
だからこそ、喪失感を伴ったラストが用意されている
それに対して君の名は。は二人の恋が始まるより前に、現在が置かれた作品だと俺は考えている
これは新海誠が度々インタビューで答えている「会う前の二人を描きたかった」という発言を見ても明らかだと思う
故に「新海誠にハッピーエンドは相応しくない」という論調で今作をこき下ろすのは的はずれだと感じる
「喪失を描いた昔の新海が良かった」というなら勝手だが
デビュー作ほしのこえと二作目雲の向こう、約束の場所はどちらも「現代日本に生きる若者」の喪失を語りながら同時にSF要素が濃厚な作品だった。
これはSFを描きたいわけでも、監督がSFに思い入れがあるわけでもなく、高速ロケット、ワープ、別の宇宙という設定が二人をすれ違いを抽象的に描く上で都合が良いからだ。
悪い言い方をすると日常描写だけで青春を描く技量が新海にまだ無かったからだとも言える。
そして代表作とも呼ばれる秒速五センチメートル。
この作品で新海誠は初めてSFの踏み台を捨て、徹底した日常描写の凄みのみで少年の喪失を描ききった。
今作で新海は描きたかったテーマを完璧な形で描ききったのだと思う。
そのためか4作目の星を追う子供では一気に路線を変えファミリー映画に挑戦している。
今作といってるが秒速の事だ
秒速以前の新海作品は、幸せなひとときから時間によって無情にも引き離されていく、つまりは過去から未来への喪失を描いていた
しかし君の名は。では、時間によって幸せなひとときへと近付いていく過程が描かれている
だからこそ、ラストで二人が邂逅することによって、この作品ははじめて完成されるのである
★(◆▼◆) TRICK OR TREAT!
結局新海は5作目の言の葉の庭で再び、現代の日本を舞台にした恋愛映画を作っている。
しかし6作目の君の名は。は、初期二作や星を追う同様にファンタジー要素が濃い作品だった。
それは本来語る事の出来ない、「まだ出会っていない二人の話」を映画にするためだ。
ほしのこえ、雲の向こう同様ファンタジーそのものを描きたかった訳では無い。
そう考えると「最後だけ普通でつまらない」という感想も、これまた的はずれだと思う。
重ね重ね言うがファンタジー要素は本当の恋愛が始まる前の、「ゼロ」の状態を二時間映画にするためだけの技。
だからこそラスト、二人がちゃんと出会い本当の恋を始める場面は東京の住宅街ですれ違い、名前を口で訪ねるという「普通」な場面で充分。むしろ普通じゃないといけない。ここで初めて「ああ、やっとゼロから1になった」と感動できるんだよ
ファンタジー要素は必要だったろうか しかもあそこまで大掛かりな
遠く離れた異性と入れ替わる、巫女の力→「運命の糸」で結ばれてる
知り合う前の二人を物語にするためだけに用意されたファンタジーだと思う
抽象度の高いアニメだからこそ現実的なテーマとファンタジーをごちゃまぜにすることが出来るのではないだろうか
王道とは、分かりやすい、万人が持つ価値観に共感する内容である
そして、それは人の無意識の中で息づいているから、いざ作品の題材として取り上げられると、改めて「すげー」となる
ジブリだってそう。日本人の持つ感性に訴えるような内容のファンタジーである(トトロ=自然のお化け、千と千尋は八百万の神、など)
君の名は。は、そういうジブリの作風に近い所で作られてるね、流行るべくして流行ってる感じ
逆に海外だと千と千尋なんかはアジアの神秘として受ける
だれの人生でも現実と絵空事の狭間で揺れる瞬間はあると思う
なんだかそれを描いているようで
普通に出会って愛を育んでいく過程を描けばいいだけじゃない?
誰もが感じることを長くて二時間という短い尺の中で、アニメでしか出来ない抽象的な表現で鋭く描くのが新海誠
秒速五センチメートルはファンタジーではないと言ったがこれも現実そのものではない。街並みを美麗に描くことで見る人の心を揺さぶる、とかはアニメでしか表現できないしね
★(・∀・) オカシチョーダイ!!
おれも電車の中で発情したお姉さんに話しかけられたかった
比率は大げさでも実際の人間関係の構造と比例関係にあった
しかし今回のはどうだろう 運命の赤い糸は現実の恋人が口にするロマンでしかない
つまり幻想をより派手に演出しただけだ 今までは幻想をとおして現実を描いていたのに
出会う前の二人が出会う理由や過程を現実的に考えるなら趣味が一緒とか仕事とか学校とか
だろうがそんなものを拡大して見せたかったのだろうか
あと他は何か見たくない
テーマ曲とエンディングはうるっときちゃう
劇中はね
エンドクレジットで流れたときはもう勘弁してと思ったが
王道だからこそいいものもある
(転載元:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1477914658/)
「君の名は。 のラストについて語りたいことがある」
ハッピーエンドかどうかも判らなくて、ニュートラルなんだよな。出会う前の二人を描いてて、基本どちらも記憶はない状態なんだから。